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小津夜景作品集「フラワーズ・カンフー」(ふらんす堂)を読んだ。 韻律、リズムが支配する篇章、ここまで俳句でできるのかというのが正直な感想だ。 俳句といえば十七音の詩と理解されている。その十七音でどのような世界を構築できるのか、それが俳人の腕前だろう。でも世界って何だろう。自分が見ているもの、自分の手の届くもの、それだけだろうか。 ぼくは音楽にはとても疎いのだが、音楽も作曲している人の作品というだけではなく、所与の音階の産物でもあるだろう。言葉がそこになくても伝わるものがある(らしい)。和太鼓などは、メロディーもないのに肚に届くものがある(おそらく)。 「フラワーズ・カンフー」を支配する韻律は、もちろん十七音だ。字余り字足らずを許さない緊密な韻律。繰り返される押韻。意味はその韻律の影として、三歩ほどあとから蹤いてくる。 まなぶたのかさぶためきて年深し これなどは典型的だが、先に意味があるのではない。「まなぶた」「かさぶた」の韻律から「年深し」が導かれている。これが「年の暮」のような季語ではなく「年深し」なのは、「ぶ」「ふ」の音からなのだろう。人は因果なもので、文字が並んでいれば意味を求めてしまう。韻律と意味、作者と読者、その共同作業を信頼するからこそ成り立つ何かがここにある。 大伽藍くぐらんごとく読みはじむ フイルムは深き眠りに降る砂か こゑといふこゑのゑのころ草となる ゆふぐれをさぐりさゆらぐシガレエテ とびらからくちびるまでの朧かな もちろんこのような目に見える(耳に聞こえる)韻律ばかりではなく、隠されたもの、見えにくいものもあるだろう。それでも音読すれば、十七音の繰り返しに脳内のシナプスが触れあうような感覚がある。 喪着に入る虫も夜伽のなきどころ オルガンを漕げば朧のあふれけり ゆけむりの人らと少しかにばりぬ 昼寝せり手は流木をもよほして 「藍生」11月号掲載句 今月から「雪華」にも参加しているので2句くらいにしておきたい。 白雨打つ屋根首すぢへ牛の糞 みな殴るかたち炎暑の吊革に 「雪華」11月号掲載句 底紅やちひさきものは小さく死に 牛の群吹かるるままに野分かな ◇ ◇ ◇ ◇ 【itak】の11月のイベントはこちら。 なかなか興味深い内容だ。 恒例の「りっきーリポート」もアップされていた。 #
by gyuugo
| 2016-10-30 23:09
このはる沙耶さんのネットプリント「震央」。送っていただいたのはいつのことだったか…。 立冬や秘色の空をゆく鴉 秘色(ひそく)とは、古代中国の青磁で、王家以外の使用を禁じたところからそう呼ばれたものらしい。ぼくはまったく知らなかったが、まずこの言葉にとても惹かれた。人は誰でも秘密ということに弱いものだが、それに加えてこの「ひそく」という音。両手でそっと包まなければ壊れてしまいそうな音だ。 青磁の青のたたずまいは、季節でいえばやはり冬だろう。これから寒さのつのってこようという立冬を横切ってゆく鴉。鷹が王家の鳥だとしたら、鴉は平民のものだ。嫌われてばかりいる鴉の漆黒の美しさを見せてもらった気がした。 六月の雨も追ふなり牧羊犬 百物語固唾のやうに蝋融けて 種あさがほ社宅引継事項(七) 震央に野兎一羽戻りけり #
by gyuugo
| 2016-10-22 22:08
広渡敬雄さんの句集「間取図」(角川書店)を読んだ。 端正な句柄で、これが「ザ・俳句」というものなのだろうと思う。そのような句柄は、ぼくのような(俳句のなんたるかがよくわかっていない)ものには往々にしてちょっと退屈と思えるものもあるのだが、さすがに飽きさせない充実した句集だった。 広渡さんは登山が趣味ということで(これは個人的に聞いたことがある)、その点でも親近感が湧く。ぼくも若い頃は登山に熱中していたので。 まずはそんな登山の句から。 広げたる地図に雲海迫り来る 登山は常に地図と地形が一致していることを確認しながら進む。これを怠ると自分がどこにいるかわからなくなるのでそれは真剣だ。ぼくもホワイトアウト(吹雪や霧で何も見えなくなる状態)で何度迷ったことか。 掲句に戻るが、何度も行った山なら地形図を見ただけで山のかたちが目に浮かぶ。山の頂上から見た、あたりの名のある山の連なり、山肌に刻まれた谷の深さまでわかるのだ。山々のあいだのちょっとした低みから流れ込んでくる雲海さえも。 蛇ゆきし草ゆつくりと立ち上がり 「ゆきし」「ゆつくり」の韻。蛇のからだのくねりようが、「蛇」「ゆきし」「草」「ゆつくり」という字面に現れているよう。景もリアル。 遠き日と同じ温みの日向水 思い出(思い出と記憶とは違うような気がする。思い出とは記憶を濾過したものだろうか)の温みを具現化したものが日向水という把握に共感する。 凍蝶とつぶやく胸にしまふかに 「胸にしまふ」と言えば、秘密を決して明かさないことだ。でも秘密というものがいかに脆いものかは、誰にも経験のあること。触れば壊れてしまいそうな凍蝶がそこにある限り、秘密は秘密であり続ける。 病棟の渡り廊下や夜の蟹 何だろう、このざわざわした感じ。夜の病棟の渡り廊下は、どこかしら此岸と彼岸を繋ぐ場所をイメージさせる。そこにうじゃうじゃと歩いてくる蟹の群。それが彼岸からの使者だとしたら怖い。 青空より一羽降り来て凍鶴に スローモーションの映像を見ているよう。鶴が大きな羽を広げて降りてくる「動」と、羽を閉じて凍土に立つ「静」との時間と空間を同じ地平に描く感覚。 雪形や少しく曲る麦の畝 畝はまっすぐ作るのが農家の腕の見せ所だが、これは畑のかたち自体がすこし歪で、その辺に沿って畝を作っているということだろう。真四角な畑は作業効率が良く、農家にも好まれるが、すこし曲がっているくらいが傍目には安らぎを感じるものだ。ほんのひとときを過ごす雪形の不安定さも、その不安定さこそが魅力である。 息吸へば言葉生まるる深雪晴 厳寒の雪晴。鼻から息を吸うと鼻の中の水分が凍りつく感覚を味わうことができる。鼻の中がペタッペタッとなるのだ。作者は登山などでこういう体験をしたことと思うが、もし初めてこの感覚を得たなら、言葉になる前の原初的な感覚として身の内に留まるのではないか。それからいろいろな過程を経て言葉となるのだが、言葉以前の感覚を得たという感慨があったのかもしれない。「息吸へば言葉生まるる」というのは単なる因果ではなく、言葉というものの不可思議さを端的に表現したものだ。 帽子屋に帽取帽や春深し 帽取棒という道具があるとは知らなかった。なるほど、帽子屋は高いところにもディスプレイしているから、そういった棒は必要だろう。そういった理屈はさておき、掲句の「ぼう」という音の繰り返しが技あり。「ぼう」と言うたびに春は深まってゆく。 遠ざかるほど蒲公英のあふれけり 蒲公英は強い植物だ。牧場のなかにもたくさん咲くが、牛に食われても踏まれても決して絶えることはなく一定の勢力を保っている。それでも牧草を駆逐するわけでもなく、ある程度のまばらさで咲いている。しかし少し離れたところから見ればその黄色の存在感は強く、蒲公英ばかりのようにさえ見えるほどだ。まさに掲句のいうとおりで、蒲公英の黄色の存在感は春そのものなのだ。 「藍生」10月号掲載句 飲みしあと仔牛しづかや合歓の花 鉄柱に鉄の影ある暑さかな 帰りきし夕焼とおなじ色をして 畳まれし傘の螺旋に沿うて蟻 #
by gyuugo
| 2016-10-13 22:27
「セレネッラ」第9号を読んだ。 今回は敬愛する杉山久子さんが「客演」ということで、楽しく読ませていただいた。 久子さんの「私の好きな季語」は「水引の花」とのこと。ぼくも、水引って魅力的な語感だけど、どんな花なのだろうとずっと思っていた。宮本佳世乃さんの 《鳥飛ぶ仕組み水引草の上向きに》 という句などを愛唱しながら。 先日、旭川の北邦野草園というところに行ったのだが、そこにはたくさんの水引の花が咲いていた。このところ、札幌の北大植物園に行ったり、上川町の大雪ガーデンに行ったりして、植物をじっくり見る機会があった。どうせ北海道は本州以南とは植生が違うのだから季語の大半はないんだよね、と半ばいじけているような感情を抱いていたのだが、実はけっこうたくさんの植物があるということに気づいた。 そう思って見ると、我が家の玄関の前に酢漿草が咲いていたり、あれが独活の花なのかと思ったり。ちょっと世界が広がった思いがした。 杉山久子さんの一句 喉仏よりもあかるき芒かな 喉仏も芒もさして明るいというイメージはない。芒は秋の深まりの象徴だし、喉仏ももはや少年ではない男のものだろう。でも考えてみれば、男の汗に湿った首の奥にある喉仏より、秋風に揺れる芒の方がよほど明るく感じられる。この句は、喉仏と対比させることで芒の明るいイメージを巧みに引き出しているのだ、と自分の儚い喉に手を当てながら思った。 「藍生」9月号掲載句 蜘蛛の巣のキリル文字めく斜陽かな 干草を吸ひ込むやうに喰うて牛 蟻の道蛇のあをさを越えゆける 蠅取の蠅の最後のぐぐぐぐぐ ◇ ◇ ◇ ◇ 【itak】ブログは、橋本喜夫さんの句会評が続いている。拙句も評してくれるかな? #
by gyuugo
| 2016-09-25 21:58
久しぶりの更新。 更新はいつもたいてい久しぶりなのだから、いちいち書かなくてもいいかもしれないが。 一番牧草の収穫で忙しくしているうちに、いつの間にか月日が経っていた。こんなブログなど誰も読んでいないと思っていたのだが、先日句会で会った少し年上の女性から、「最近ブログ更新していませんね」と言われて、読んでくださっているのだと少なからず驚いた。読者がいるということもさることながら、とてもインターネットなどに縁がありそうになかったので(すみません。失礼しました)。 この間も、本を買ったりいただいたり、読むべきものは溜まっていく。もう本は買わないと思うこともたびたびなのだが、その思いは簡単に揺らいでしまう。 もうかなり前のことがが、「ふなむしーず作品集」というネットプリントをいただいた。我が家はセブンイレブンやローソンまでなかなか遠いので、気を使って送っていただいたのだ。 蝶をテーマに、俳句、短歌、回文、いろは歌など、いろいろ楽しませてもらった。こういうところで、ことば遊び(俳句も含めて)を発表できるのが、少しうらやましい。 蝶の翅の波動なづきの底の水 ありくしくらげを すこし死ぬことを幾たび秋の蝶 とおと ちょっと触発されて、蝶をテーマにいろは歌を。 夏なので、夏蝶で。 夏蝶翅をひらく門 蝦夷地の庵に濡れゐたる おまへ煙と失せしころ 若き闇ゆゑ覚めよ明日 なつてふはねをひらくもん えそちのいほにぬれゐたる おまへけむりとうせしころ わかきやみゆゑさめよあす ことば遊びといえば、山田航「ことばおてだまジャグリング」(文藝春秋)を読んだ。 説明を読んだあと、前のページにはその仕掛けがあるんだよ、と書かれていて戻ったらびっくり。ことば遊びファンのひとりとして、とてもうれしく楽しい本だった。 でも、さすが幼少期からの筋金入り。人とのコミュニケーションが苦手でことば遊びばかりしていたというが、ほんとうに山田さんにはことば遊びがあって良かったと思う。その点、ぼくなど凡人だなあ、と。 しかし、山田さんのいろは歌、五十音のほかに、濁音、半濁音、拗音、促音、長音、さらに小文字のあいうえお、ヴ まで入れての82音。ほとんど笑うしかないような飛躍の連続だが、これを作ってみようということ自体が尊敬に値する。とてもぼくにはできない。 「藍生」掲載句も3ヶ月も溜まってしまった。 6月号 立春の暦めくれば鳴り出さむ 指切りの指より小さく鳥帰る 襤褸戦ぐほどの風なら光るらむ 春光をたちまち得たり雪落ちて 7月号 天と地の親しめる音雪解雨 干してある軍手一双つくづくし 春の土たがひに踏んで別れけり 我ひとり雪解の牧に融けず佇つ 8月号 鋭角の風来自転車に立夏 新緑や根を張りさうに牧の杭 花季のはがきに文字のなきところ ◇ ◇ ◇ ◇ 【itak】のイベントはもう1年くらいごぶさただ。 自由に休みが取れないので仕方ないのだが、まあそれもいいのではないかと思うようになった。今できることをぼちぼちと。 【itak】ブログは、橋本喜夫さんの句会評がアップされているので、リンクを貼っておこう。 第1回 第2回 第3回 #
by gyuugo
| 2016-08-03 22:29
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