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句集を読んだら少しくらい何か書こうといつも思うのだが、全然実行できない。簡単な礼状を書いて終わりか、礼状も書かないこともあって、申し訳なく思う。 橋本薫句集「青花帖」(2018年/深夜叢書社)。 橋本薫さんは藍生会員で陶芸家。NHKの朝ドラ「スカーレット」は陶芸家が主人公なので、にわかに陶芸には興味を持つようになった。今まで全然知らなかったので、ちょっとは知識を持てたかも。 ろんろんと回る蹴轆轤花の昼 「ろんろん」というオノマトペの明るさ。この「ろんろん」の音は「轆轤」の「ろ」から導かれたに違いないのだが、それが紛うことなき必然と思えるのが詩の豊かさ。花の昼のたおやかな感じもいい。 壺の口撫づれば響く天の河 窯に火を入るること我が盆支度 呉須に筆沈め更待月も雨 このような陶芸の句は作者ならでは。 やはやはとしぐれの蛇体山を纏き 錫杖の音黒南風の高嶺より 綿虫が指に手紙の来さうな日 渡海碑や落暉もろとも赤とんぼ 掌に包む小鳥の鼓動雪の朝 #
by gyuugo
| 2020-02-11 21:56
| 俳句
所属している俳句結社「雪華」のホームページを管理しているのだが、そこに新たに「散文置き場」というページを作った。→こちら 「雪華」は、かなり散文も充実しているのだが、何しろマイナーな俳誌なので、読んで下さる方もかなり限定されている。せっかく書いた散文なのだから、ということで、発行から1年前までのものに限ってホームページにアップすることにした。 ぼくは、40代後半で俳句を始めるまで、ブログなどの軽い文章は書いてはいたのだが、このようなきちんとしたものを書いたことはなかった。それでも、いろいろな方が俳句について書いている文章を読んで、見よう見まねで書いてきた。今の若手など、文学や俳句についての知識も豊富で、しかも書き慣れているとみえて本当に文章が上手だと思う。それからみれば拙いことは否めないが、書かないと始まらないので、これからも書いていきたい。 さて、今までアップしたものは次の通り。これからも順次アップしていきたいと思う。 現代俳句時評(五十嵐秀彦)
2019年 1月号 さすらいの終るその日 ~ 雑誌「兜太 Tota」発行に寄せて 2018年 12月号 鈴木牛後と牛と辺境と ~ 第64回角川俳句賞「牛の朱夏」を読む 11月号 水の憧憬 ~ 岡田一実句集「記憶における沼とその他の在処」を読む 10月号 放棄からの詩 ~ 山田耕司句集「不純」を読む 牛後の気になる句集/書籍を読む(鈴木牛後) 2018年 12月号 かすかな水の音が届く ~ 岡田一実句集「記憶における沼とその他の在処」を読む 10月号 黒田マキ句集「クロヌリハイク」を読んでみた、作ってみた 9月号 漢詩って詩だったんだ ~ 小津夜景「カモメの日の読書」を読む 7月号 黙約としての風土 ~ 斎藤信義句集「雪晴風」を読む 5月号 手ぶらで読まれることを待つ ~ 西村麒麟句集「鴨」を読む 3月号 すこし遠くで会う俳句 ~ 上田信治句集「リボン」を読む 2月号 ポップという野心 ~ 瀬戸優理子句集「告白」を読む #
by gyuugo
| 2020-01-27 20:54
| 俳句
詩誌「フラジャイル」第7号。 昨年の秋、旭川に小熊秀雄の朗読会を聞きに行ったので、その縁で送っていただいたのだと思う。 ぼくは現代詩について語るべき何かを持っているわけではないが、感想などを少し。 現代詩は読者に負荷を掛けるものだなあ、というのが率直な感想だ。ぼくが俳句を書いたり読んだりするときにも、詩と意味とのバランスということを考えるのだが、それと同じようなことは現代詩を読んでも思う。俳句の多くは意味に傾いていて(もちろん傾きすぎと思うことも少なくない)、現代詩は詩に傾いている。俳句に慣れた頭にはそれが負荷と感じられるのかもしれない。 そんな思いの中で印象に残った詩。 山田亮太「この世」 今の世相の奥底がうたわれているように感じた。
権威に対する警戒は詩の原点であると思う。俳句ではそれが忘れられがちなのではないか。 巻末の、片山晴夫の「安部公房の戦後作品を読む」という講演録は興味深く読んだ。 実は片山晴夫さん(昨年逝去されたとのこと)は、ぼくの卒業した学校の先生(当時は助教授だったかな?)だった。少しは文学に興味があったので、「一般文学」という講座を受講したことだけは覚えている。もう30年以上も前のこと。レポートには大江健三郎の「われらの時代」を読んで何か書いた。もちろん内容は記憶にはない。当時から糸のように文学に連なっていたという思いだけが、あたたかく感じられる。安部公房は当時に何冊か読んだのだが、もう一度読んでみたいと思う。 #
by gyuugo
| 2020-01-16 21:25
| 現代詩
若林哲哉句集「掬ふ」は、第9回「百年俳句賞」の最優秀賞の賞品として作られたもので、「100年俳句計画」1月号の付録。 ぼくは今年も「百年俳句賞」の選考会員のひとりとして、数十人の方とともに選考に当たったのだが、今年は候補4作品の差がほとんどなかったように感じた。ぼくは「掬ふ」を推さなかったが、これが受賞ということにまったく異論はない。 もっとも、毎年思うのだが、ぼくに選考の資格はあるのだろうか。いろいろと賞はいただいているものの、俳句の良し悪しなどほんとうによくわからない。「スパルタ句会」などに参加しているから、よけいにそう思うのかもしれないが。 さて、本句集より。 空港と港向き合ふ良夜かな まず、空港と港が向き合っているとはどういうことだろうか?建物、施設ならふつうは「向かい合っている」とすべきだろう。なので、これは擬人法ということになる。この擬人法が生きているかが問題。 現代では空港も港も煌々と照らされているから、良夜でも無月でも風景にそう差はなさそうな気がする。それでも、天に月(それも名月)を置くことで、風景が引き締まる。どこか神性を帯びるような気さえしてくる。技術の粋を集めた飛行機や大型船がつく場所。そこに神性を見て擬人法が採用され、しかもそれがきちんと成功していると感じた。 常体のつめたさに似て誘蛾灯 機知の句といえるだろうが、「常体のつめたさ」に実感がある。挨拶文など、敬体で書く人と常体で書いている人とが混然としているとき、常体にはどこかよそよそしい感覚がつきまとう。内容が同じにもかかわらず、だ。そのひんやりとした胸底の感覚が、誘蛾灯の非情に通じている。誘蛾灯は火に似てはいるものの、その実体は電撃であり、決して熱ではない。その偽装のひえびえとした感覚が掲句よりもたらされる。 新涼や葉脈に似てシャツの皺 黄落や波紋のやうに石畳 路線図は島を略して青蜜柑 旧道を来て冬蝶の国にゐる くちぶえの吸ふときも鳴る花曇 作者を知った上での選考というのは、いつも難しさを感じる。この賞は、何回か前から作者名を明かした上でも選考ということになったのだが、ぼくの意見を言わせてもらえば無記名の方が良い。作者を知っているバイアスというのは、頭から追い出そうとしてもどうも難しいので。 ◇ ◇ ◇ ◇ 今週末、土曜日は【itak】のイベント。今回は、北大名誉教授で「ホトトギス」会員の菊地勝弘さんによる「雪の結晶の話題」。いつも見ているようで見ていない雪の結晶はとても興味深い。厳寒期には、雪が結晶のまま落ちて来るのが北海道の粉雪だが、もう見慣れていてなかなか注意を向けることも少ないので。
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by gyuugo
| 2020-01-15 22:47
| 俳句
もう三十日。今年はいろいろと忙しく過ごした。年末には北海道新聞俳句賞もいただいて、良い一年だったと思う。来年は少しゆっくりと過ごしたい。人間、緩急が必要と思うので。 「岳」1月号。満田光生さんに拙句の鑑賞を書いていただいた。ありがとうございます。 ツイッターでも書いたのだが、この号に小林貴子さんの「二〇二〇年 岳で大切にしたいこと」という文章が載っていて、そこに書かれていたことが気になった。 鳴き尽くしたる虫から消えてしまひ 宮坂静生 について、
と書いていたことだ。 いや、これはとても違和感あるでしょう、と感じたのだが、ツイッターのコメントを読んでみるとこの感覚は人それぞれであるようで、自分の感覚がすべてではないのだなということがわかった。このあたり、もっといろいろな方の意見を聞いてみたいものだ。 「岳」には、北北海道現代俳句協会顧問の北見弟花さんが在籍していて、このことは春の総会のときにお聞きしていたのだが、ご活躍されていることがわかって嬉しい。「岳俳句界賞」は依田ひろさんという方が受賞されたのだが、2番目に票を集めたのが弟花さん。九十歳を過ぎてのチャレンジ精神が素晴らしい。 氷鈴や林帯風の音を立て 北見弟花 「氷鈴」という季語は初めて見た。おそらくは弟花さんの造語と思う。樹氷が風によって落ちるときに立てる音のことだろうか。「林帯」というのは、防潮林や防風林など、森林と呼ぶほどではない帯状の林のことのようだ。林帯を風が吹き抜けるとき、樹氷がぱらぱらと音を立てて落ちる。その音が風の音と一体のハーモニーを奏でている景を描いて鮮やか。 【itak】のメンバーである三品吏紀さんも「岳」の会員。 たましひも砕く羆の顎かな 三品吏紀 先日、NHKで三毛別の羆襲撃事件のドキュメントを放送していたが、改めて羆の恐ろしさを知った。羆が原因でひとつの集落がなくなってしまったのは北海道でも珍しい出来事だったらしいが、その場所に命を賭けて開拓に挑んでいた人々の魂も砕いてしまったということなのだろう。 「はがきハイク」第21号。 ゐんゐんと音叉十二月の森へ 西原天気 ママチャリとカラスすっぽり十二月 笠井亞子 どちらも十二月の句。天気句は、一年が納まっていく十二月の末に向けて、時間とともに音叉の響きが収束していくようなイメージか。「ゐんゐん」という表記が見た目にも、遠くの誰かの鼓膜に響いていそう。亞子句は、これも何もかもを納めて閉じていく年を感じる。日常のかわたらにあるママチャリも、いずこよりの使者めくカラスも、みな「すっぽり」と年の暮の世間に覆われてゆく。 #
by gyuugo
| 2019-12-30 21:29
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